鉄製厨子

 

1171年(承安元年)7月、大山寺の大山権現(大山寺)の御宝殿は火災に遭い、御正体も焼失してしまいました。翌年、大山寺の僧侶たちは皆で相談の上、神仏への信仰心があつかった西伯耆に勢力を誇った武将紀成盛を頼り、大山寺の再建と再興に取り組みました。

紀成盛は始めに金銅の地蔵尊とそれを安置する鉄製の厨子を奉納しました。翌年、御宝殿を再建しました。この鉄製の厨子は通常の厨子とは形状が異なり、扉などはありません。傘状の蓋が付いており、蓋には胴に梵字[1]を鋳出して3つのふしめをつけ、火焔[2]様の装飾が施された宝珠が付いています。また奉納祈願文が陰刻された銘板の文字部分には銅の薄板がはめ込まれ、象眼[3]がほどこされていました。この銘文には延暦寺の僧が鋳造したことが書いてあり、当時の金工技術を駆使したことがわかります。

しかし1554年(天文23年)、1796年(寛政8年)の二度にわたる火災により銘板の1枚は焼失してしまいました。厨子によって災害などから守ろうとした金銅の地蔵尊も焼損してしまい、頭部の一部分しか残っていません。

 

宝物館霊宝閣

大山町大山

0859-52-2072

定休日 無休(12月1日〜3月31日までは冬期休館)

入館料 大人300円 小・中200円(団体割引あり)

駐車場 あり

 

【参考文献】

大山町教育委員会 「大山町の文化財」1985年

大山・日野川・中海学協会 「大山・日野川・中海学テキストブック」2009年

 

[1] 古代インドのサンスクリットの表記に用いられた文字の総称。

[2] 火炎と同じ意味

[3] 表面に模様を彫り、そのくぼみに金銅貝などの他の材料をはめ込む技法