博労座

牛馬市が開かれた場所で日本でも有数な市のひとつです。平安時代末期に大山寺で活躍した基好上人が大山寺の地蔵菩薩を牛馬守護の仏であると唱え、牛馬安全の守護札を施与していたところ、各地の農家がこの守護札を求めて大山寺に集まるようになりました。はじめは、牛をひいて参る人たちが牛馬の交換や売買などが行われ、これが牛馬市場へと発展します。牛馬市としては中世の鎌倉時代から室町時代にはじまり、大山寺周辺で行われていました。

参詣者は徐々に増えていき、牛馬市の規模も大きくなったことから、江戸時代中期1726年(享保11年)、大山寺領の寺侍である山奉行、吉川右平太により組織化されました。それまでは大山寺祭礼時に開かれていましたが、組織化によって牛馬市が祭礼の前後2日間にも大山寺境内下の博労座で開かれるようになりました。

この頃には牛馬市が各地で誕生し、大山をはじめ広島の久井、福島の白河が日本三大牛馬市と呼ばれるようになりました。そもそも中国地方は和牛生産が盛んであり、それに従い巨大な牛馬市も誕生しました。明治15年頃には年間の牛馬入場は12000頭を超え,にほん最大規模になっていましたが、1936年大山が国立公園に指定されたことをきっかけに翌年の春の牛馬市を最後に廃止されることになりました。

現在でも広大な草原が大山寺界隈のシンボルとしても多くの人に愛されています。

 

【参考文献】

公益社団法人中国地方総合研究センター 「鳥取県を中心とした産業発展の歴史」

亀尾八洲雄 「ふるさと歴史散歩28 大山牛馬市の歴史」2007年

大山町役場 「続 大山町誌」平成22年 大山町誌編集委員会