紅葉の名所 鍵掛峠

大山の南壁を一望できる、「鍵掛峠」。江府町にある、標高およそ910メートルに位置する大山エリア有数の絶景ポイントです。秋には、赤や黄色のブナ林の鮮やかな紅葉、初夏にはみずみずしい新緑と南壁の荒々しい山肌とのコントラストが多くの人を魅了する大山エリア屈指の観光地でもあります。

まず私は「鍵掛峠」と初めて聞いたとき、「鍵掛峠ってどういう意味なんだろう」という疑問が頭に浮かびました。鍵がかかっているのか、確か冬になるとあの近くは通行止になる道があるなぁ、なんてぼんやり考えていました。今回、鍵掛峠に詳しい「奥大山古道保存協議会」の会長の佐々木満さんにお話を伺いました。

「奥大山古道保存協議会」会長の佐々木さん。元は高校教師、定年後は米子図書館の館長もつとめ、地元の江府町の町史の編纂も手がけた。

「『鍵掛峠』という名前自体は、実は全国的にも何箇所かつけられている名称なんですよ。この大山周辺であれば、広島と鳥取の県境、道後山の近くにも『鍵掛峠』があります。読み方は『かぎかけ』ではなく『かっけけ』と呼ぶそうですが、意味は同じです。この鍵掛というのは、旅する人たちが旅の安全を祈願して、木の枝を折って、上に放り投げる。その枝が木に引っかかれば、旅の安全が成就するという、いわば願掛けのようなものです。みなさんも、神社の鳥居なんかに石が乗っているのを見たことがありませんか。それは、願いが叶いますようにと、参拝者が投げた石です。鳥居に石がのれば、祈りが叶うってなるでしょう。それと同じなんですよ。」なるほど、子どもの頃やったことがありますね、と私が言うと、

「特に峠なんかでは、旅人は不安になりますよね。車も電気もない山道で、誰にも会わないし。だから峠で木の枝を投げて、安全を祈る。無事に着くだろうか、もしくは無事に家に帰れるだろうか。現代人には想像すらつかない不安があったでしょうね。」

この江府町の鍵掛峠は、大山が古くから信仰の山として栄え、各地から大山寺への多くの参拝者が訪れる、「奥大山古道」の経由地でもありました。また昔からこの道は、山陽の美作国と伯耆国を結ぶ道でもあったのです。内海峠(うつみだわ)から下蚊帳(さがりかや)、御机(みつくえ)、鍵掛峠、そして、大山古道のひとつである横手道を通り、大山寺へと続く街道に合流していました。

後醍醐天皇は、鎌倉幕府倒幕の企てに失敗し、隠岐島に流される途中、この鍵掛峠を通り、木の枝に杖を掛けて、再興を祈ったとも言われています。また大山寺を訪れるために、この峠を通った旅人たちは、旅の安全とともに、牛馬市に出す牛馬が高値で売買されることも祈ったとも言われています。

「他にも、いろんな人がいろんなことを祈った場所でもあるんですよ。大山寺は女人禁制の山でしたから、この鍵掛峠までやってきて、大山さんを拝む場所でもありましたし、現在のように簡単に大山寺まで誰でも行ける環境ではなかったので、この場所で亡くなった人の魂を拝む場所でもありました。あとは、この美しい景色は今も昔も変わらないでしょうから、当時からきっと多くの人が目の保養に来てたでしょうね。」と佐々木さんは笑います。

この佐々木さんが会長を務める「奥大山古道保存協議会」。実はこの奥大山古道は、長い間、人間の往来がなく、草木が生い茂って廃れていました。その古道を「有志一同で復活させ、御机から下蚊帳までの4キロあまりを整備した」そう。そして、この会が毎年秋に主催する「奥大山古道ウォーク」は知る人ぞ知る、大人気のイベント。県内外から多くの参加者が訪れます

「御机から鍵掛峠を通過し、奥大山古道の名所を歩きます。後醍醐天皇ゆかりの味覚や、神楽を堪能できたりと、ただウォーキングするだけではない楽しみが満載です。毎年県外から参加される方もいらっしゃるほどです。ぜひ多くの方に鍵掛峠はもちろん、素晴らしい歴史を知れるきっかけにもなりますので、ぜひいらしてください。」

奥大山、鍵掛峠は現在でも、長い時を超え、多くの人を魅了する、美しい姿を見ることができます。

 

奥大山古道保存協議会事務局

0859-75-6610
平日9:00~17:00