海から山へショートトリップ ダウンヒルサイクリング

ダウンヒルサイクリング…それは普段運動しない僕にとってはとても甘く響く言葉に思えた。
上り坂を汗水流して自転車を漕ぐ必要もなく、ただ自転車に乗って重力に任せるだけ。それでいて何だか健康にいいし、しかも爽やかなことをしたと実感できるんじゃないかな、なんて思いながら僕は大山へ来て、ダウンヒルサイクリングを体験した。
そんな単純な理由で参加したアクティビティだったのだが、まずアクティビティ以前に大山の存在感に圧倒されてしまった。中国地方の最高峰であり、日本百名山にも数えられる山。古来より山岳信仰の対象であっただけはある威厳を誇っていた。
こんな知識を持って大山へやって来たわけではない。ただ休暇ができたので、たまには自然に触れてみようとやって来ただけ。この知識はインストラクターの車さんの受け売り。
ダウンヒルサイクリング。この単語から勝手に想像していたのは、自転車に乗って下っていくだけだということ。インストラクターの車さんもただの付き添い、道案内かと思いきやポイントポイントでいろんなことを教えてくれた。
このダウンヒルサイクリング、まず僕が感じたのは景色の美しさ。今まで気に留めたことのなかったような景色がたくさん目に入ってくる。いつも歩くこともなく電車や車にばかり乗っている僕には、自転車のスピードはやや遅く、ひとつひとつの色までが目に見える。
そうすると無意識にあれはなんだろう、この大木は見たことがないなぁ、と気になってくる。僕の疑問を見越したかのように車さんは自転車を漕ぎながら教えてくれた。
「これはシロツメクサ。見たことありますよね?江戸時代に日本にやって来た外来種です。これは当時交易のあったオランダからやって来た草花で、荷物の緩衝材として乾燥したシロツメグサが使われてたんですよ。だからツメクサっていうんです。」僕も思わず「おお〜」っとため息が出る。
いつもならただの雑草としか思わなかった植物にも、当たり前だけど名前があって、由来がある。普段気にしたことのない草花や植物の知識をかじっただけで今まで草むらとしか思わなかった緑たちもひとつひとつの草であり、花なのだと。これまで感じたことのない自分の意識の変化に驚くとともに嬉しくなりニヤリとしてしまう。
視覚的なことだけではなく、肌で感じることもある。それは自転車で風を切るという感覚。自転車で下っていく時に受ける風は、なんとも言えない気持ちよさなのだ。車輪が回るにつれ標高は下がり、それに反して体感温度は上がっていく。そして風には匂いがあるということを知った。ペダルを漕ぐにつれ景色が変わり、匂いも変わる。似た景色であっても匂いが違う。畑の横を走った時は土の匂い。果樹園の横を走った時は、それがすぐにブルーベリー園だとわかるくらい独特の甘酸っぱい香りで満ちていた。
聴覚もフル活用。木々の間から溢れてくる様々な鳥の鳴き声、風を切るときのピシャっという空気を切り裂く音、田んぼを耕すガガガーというトラクターの音。普段なら総じて雑音としか思わなかった名もない音たちが僕に話しかけてきた。
出発前に「五感をフル活用して自然を感じて見てください」と車さんに言われた通り、全身で感じたダウンヒルサイクリング。
何も考えず自転車に乗っているだけだったら感じることのなかった世界に触れることができた。これまで自分が気づかなかった自分の感覚。そして漠然とではあるけど、この風景をなくしたくないという思い。
都会の日常の中ですっかり閉ざされてしまった五感という能力を解き放つことでいろんな思いが湧き上がってくる。
僕も自転車を買おう。今度の休暇は新しい自転車で新しい大山を見つけにやってこよう。