尾高道


大山への主要路の一つであり、出雲・米子方面からの大山道の上り口でした。中世には史跡である尾高城と大山寺とを結ぶ道でした。

近世以降は尾高から一の谷、一の谷から分けの茶屋、分けの茶屋から博労座へと続く道として発展。この途中で赤松からの道と合流し分けの茶屋へ至り、また丸山から上ってくる道とも分けの茶屋のところで合流し、往来の多い道で、沿道には松を植え信仰の道しるべとしていました。