【日本遺産文化財】もひとり神事

毎年7月14日、15日にとりおこなわれる神事。鳥取県の無形民俗文化財にもなっています。

14日は参加者全員によるお祓い(夕祭)が大神山神社奥宮で行われます。

明けて15日深夜1時半になると「正使」と「副使」、信者の中から選ばれた「先達(せんだつ)[1]」2名、桶や鎌などの道具や食料を運ぶ「強力(ごうりき)[2]」数名の安全祈願のための派遣祭が行われます。これは神の懐に入るためにより厳格なお祓いをする儀式である「湯立て祓い」と呼ばれます。神官により熱湯を笹の葉で祓うというものです。

これを終えると山頂に出発します。

行者谷登山路で山頂に向かい、夜明け前に石室に到着。正使と副使の二人が石室に入り、餅や御神酒を捧げて神事を執り行い、同拝者が玉串を捧げます。

この後、石室の前にある「梵字ヶ池(ぼんじがいけ)」の前で鈴を鳴らして祝詞[3]を奉上、桶に入れて運んだ御神酒を池に注ぎ、空になった桶に池の水を汲みます。

そして薬草を刈り取り、霊水をとともに神社まで持ち帰り、これらは神前に捧げられます。神社では宮司、参列者たちが派遣使の出迎え式を行います。参列者には直会後、霊水、薬草が配られます。

この薬草は現在ではヒトツバヨモギのみとなっていますが、昔はダイセンホトギリソウ、ダイセンツユクサ、ハナフスベなども摘まれていたそうです。これらは口内炎、婦人病、また牛馬にも効用があるといわれていました。今でもヒトツバヨモギは万病に効くと言い伝えられ、陰干しに保管し、病気のときにいただく習慣があります。

もとは大山寺の弥山禅定という行で、僧侶にとっては大山登頂が一生に一度だけ許された命がけの行でした。明治時代の新政府により出された神仏分離[4]によって大神山神社奥宮の神事として継承され、現在に至っています。今でも大山の原初信仰を伝える貴重な行事のひとつです。

 

【協力】

大神山神社 禰宜 相見正邦様

【参考文献】

大神山神社奉賛会「大神山神社由緒記」平成4年

大山町役場 「続 大山町誌」平成22年 大山町誌編集委員会

[1] 案内者、先導者の呼称

[2] 修験者や山伏に仕え、力仕事や荷を担いで従った者の呼称

[3] 祭祀にあたり神前に奉上する詞(ことば)

[4] 明治維新後、神道と仏道を分離させ、神と仏、神社と寺院の区別を明確化する動きが顕著となった。