たいまつ行列

かつて「火の神岳」とも呼ばれた大山で、毎年6月の初めに開催される山の安全を祈願する「大山夏山開き祭」。その前夜祭としておこなわれるのが、「たいまつ行列」です。大神山神社奥宮から博労座までの参道を、およそ200本のたいまつの炎が埋め尽くします。その様子は、とても神聖で厳か。毎年、地元客や全国からの観光客が訪れ、近年では海外からの観光客にも人気のイベントです。

このたいまつ行列は、大山開山1300年を迎えた2018年で72回目。参道を埋め尽くす炎の河は、大山の本格的な夏山シーズンの到来を知らせる風物詩でもあります。このたいまつ行列の歴史を調べてみると、大山登山の歴史を知ることができる歴史がありました。戦前に、各地で結成された山岳会。冬山の登山や、県外の山岳会の北壁の新ルートのアタックやなど、民衆の大山登山への意欲は戦後に最盛期を迎えます。そこから、昭和14年から15年頃までに、周遊的な登山ルートだけではなく、未踏査ルートが開発されてゆき、北壁、南壁、地獄谷、剣谷などの沢歩きから岩稜の登攀など、この時期の踏査され尽くしたと言われています。大山登山ルートの開拓時代でした。しかし、その後戦争の激化に伴い、山岳会はいつしか自然消滅の経路をたどりましたが、戦後またいくつかの山岳会が再び結成されます。

戦後に結成された山岳会は、これまでの登山ルートの開拓よりも、登山を通じて山における道義や、山の自然を守ることも会の重要な務めを果たそうと活動していました。この啓蒙的な活動が、戦前の山岳会とは違った形で、多くの人たちの山や登山への関心を高めていったのでしょう。昭和22年、このような流れの中で、初めて山開き祭が開催されることになりました。

しかし、現在の山開き祭りとは異なり、大神山神社屋宮の高橋宮司によると、7〜8人の登山グループが大神山神社奥宮で、登山の安全を祈念したのが始まりとのこと。しかも、現在の山開き祭と全く異なるのは、その日の夜は、「無礼講」と称して、大山中の旅館、食堂は全て飲み放題、夜通し酒盛りだったそう。

この「無礼講」は数年続きましたが、一般参加者も増え、現在の前夜祭である「たいまつ行列」が始まりました。現在のたいまつとは異なり、当初は空き缶を利用したたいまつを作り、50人ほどで博労座までの行列を行いました。その後、年々参加者も増え、現在の「たいまつ行列」となっていったそう。

大神山神社のかがり火をたいまつに灯し、博労座まで歩きます。

今ではおよそ2000人が参加する、大山で屈指の人気のイベントとなりました。行列を行う人だけではなく、見物客、プロ、アマのカメラマンと多くの人が詰め掛けます。

大山町に住む森田義巳さんも、毎年この「たいまつ行列」を楽しみにしているひとりです。カメラ歴50年の森田さんは、アマチュアカメラマンとして、町内外を飛び回ります。「実はたいまつ行列の写真を撮りだしたのは、ここ数年。ちょっと、ミーハーかななんて思っていましたが、行ってみると、これがすごい。炎の河と称されるたいまつ行列ですが、本当にその通り。肉眼で見るのも、幻想的で美しいですが、写真におさめると、より一層幻想的なんです。」と言います。森田さんの撮影したたいまつ行列の写真は、写真コンテストでも入賞したほど。「被写体がいいから、割と誰でも上手に撮れる」と森田さんは謙遜しますが、なかなか難しそう。「私は持ってないけど、カメラマン仲間に言わせると、スマホでも綺麗に撮れるそうですよ」と教えてくれました。当日は撮影スポットを確保するために「朝から、参道付近をうろうろしている」森田さん。「元気なうちは撮影し続けたいな」と意気込みます。

コンテストで入賞した森田さんの写真。楽しそうな外国人観光客の表情が印象的です。

戦後から時を超えて流れる炎の河。夏山登山の安全を祈りに、これからも大山を盛り上げるイベントとして、多くの人を楽しませます。

 

キャプション

コンテストで入賞した森田さんの写真。楽しそうな外国人観光客の表情が印象的です。

大神山神社のかがり火をたいまつに灯し、博労座まで歩きます。

2000人の人が手にした、2000本のたいまつ。炎の河となって、参道を練り歩きます。